京都で培われた
「躱(かわ)す術」
桂離宮に見るささやかな減災の概念
数奇屋造りの傑作とも言われる桂離宮は京都盆地の西、松尾から少し下がった桂川のほとりに位置している。ここは、江戸時代初期、八条見や智仁親王の命を受け、月を愛でるための別荘として建設された。
桂川西岸一体は、源氏物語にも登場する「月」の名所として知られており、京都盆地の反対側の東山から上る月が、桂川の水を引き入れた広い池に映る様は今も昔も変わることなく美しい。月の美しさと引き換えに、その立地から桂川が氾濫した際には桂離宮は数回床下浸水の被害を受けている。
しかし、その姿を現在までとどめているのは、自然災害に対する職人達の工夫が凝らされていたからである。
まず、書院全体が高床式になっており、座敷までは水が上がってこないようになっている。また、川と離宮の間には、生きた竹がそのまま編みこまれた垣根があり、川の氾濫によって運ばれてきた土砂や瓦礫が、敷地内に流れ込むのを防いでいる。
どちらの策も、桂川の氾濫を前提としており洪水を完全に封じるものではなく、ある程度の水の浸入は許容しながら被害を少なくするものである。
これを腕力でもって、洪水を押さえ込もうとすれば自然の大きな力に飲まれていただろう。
自然の力に逆らわず、災害を”躱す”という日本独自のしなやかさを持って桂離宮はその姿を現在にまで残している。